2021年8月21日22日。2021年2回目は、9月4日5日。
明神館主催。女性初中級登山。女性のみ対象、
徳本峠への初級登山。2021年、第9回目、
女性登山ガイド等1名以上、当社普通傷害保険付き。
日帰り3食付き宿泊プランです。
明神館主催。女性初中級登山。女性のみ対象、
必ず、電話予約0263-95-2036をお願いします。
2021年8月21日(土)1泊。翌日朝食後に出発。明神館帰着、13時予定。
1名あたり宿泊ドミトリー相部屋3食付き、ガイド料込 総額1万7千円込み。
1名でも開催します。当館に帰着後、フリードリンク、シャワー、風呂有。
2泊も通常宿泊が1万円1千円込で可能。2泊目の食事メニューは全て変わります。
個室利用も応談。予約必須。
8月21日午後16時頃には入館して下さい。今年は、女子風呂大きいとはいえ、
入場制限有、一度に6人までの人数制限が、掛かってます。
コロナ対策、必要です。体温計、マスク、お持ちください。
上高地の実際の当日の天気を見極めるのは、常に難しいです。
20年度はできませんでしたが、梅雨であっても、今まで、8回の内、4回は快晴。
最低限の持ち物は、軽登山靴、リュック、カッパ、ザックカバー、スパッツ、ダブルストック
ダブルストックが有れば特に下山時歩きやすいです。
登山ですので、年配の方は特に、ご健康で、体を動かすご準備して来てください。
徳本峠は古代から単純に「峠」と呼んでいた上高地へ入口で、2,140M。
明神から,標高差約600mを登り続けで、2時間半で春なら、花々を見ながら,登り,
峠にて昼食。約1時間半で下りの予定です。
今までの経験では,午前7時の朝食の終了後、午前8時ころ,明神館出発,午後13時半に明神館に帰着。
最近まで、「穂高連峰」と呼ばれた景色を見ます。
特別な大雨以外は,出発します。後は,ガイドさんの判断に従って下さい。
この時だけは,帰着後,お風呂 (風呂には,当然シャンプー,コンディショナー等。)
バスタオル,シャワー無料。ドリンクフリー。
出発前,5時ころが明神(明神館内外)からの明神岳のモルゲンロード。
徒歩5分,明神池は,午前6時からで,午前6時の池のモヤは、夏は常に出ますが、
池の拝観で、1時間かかります。
参考
明神の場所、明神館の場所とは、昔は徳郷(トクゴウ)と呼ばれた場所。
明神館の前身の徳郷小屋は,起源がわからないほど古いです。
「峠」を越えて来た,
ウォルターウェストン卿の上高地の最初の宿です。
徳郷は,ウェストン来訪時には、既に上高地牧場の中心地,後に,現在の上高地全域が牧場となりました。
江戸時代は,徳郷は木材伐採の中心地でした。
江戸時代以前では,松本側からも,岐阜県側からも人が入り,勝手に木材を搬出してます。
木材の伐採により,特別な樹々も生えておらず、梓川からの人口水路が有り、
草地以外、100年経ても3Mにしかならない,深山灌木、あるいは、岳カンバのみ、
牧場に適する為。牧場の中心地として、上高地の各地に牧場を配置してます。
牧場時代の後は、明神から、明神橋の間は、キャンプ場として長い間、
昭和40年頃まで、活用されており、穂高連峰、槍ヶ岳。焼岳等の基地でした。
正式名「峠」は,明治時代,高村光太郎,智恵子も通過しています。
外国人としては,ちょうどウェストン卿より,10年前にウィリアムガーランドが越えてきてます。
その頃から,松本藩の隠し領地であった、上高地が日本中,世界中に,存在が知られるようになりました。
この頃の,穂高連峰の切手は,峠からのものです。河童橋付近のものは有りませんし,
まだ,河童橋は作られていません。
トクゴウ峠小屋 (徳本峠小屋)は,大正12年に初めて創設されています。
ここで,昼食メニューなどは殆どありません。
下の村からほとんどの方が,昔から往来し,大正2年の最初の5万文の1地図に,
徳郷(現在地名、明神)に至る峠なので,トクゴウ峠と名前が付けられました。
ちなみに,「徳本」と言う漢字は,上高地に関係が無い文字で
大正2年に官庁によってつくられたもの,出所は定かではない。
徳本峠と書いて、徳郷への峠、トクゴウ峠と読ませるのは、
かなり無理が有り、村人からもおかしいと思われた。
上高地の夏の典型的な天気は、早朝晴れやすく、午後は、夕立が来やすい。天気予報が当たらない1つの原因です。
ここ明神の春は晴れやすく。5月連休明けは、野鳥の繁殖期。
明神館は、日本野鳥の会の指定宿です。
更に明神館周囲にニリンソウ群生、他の春の花が次々と咲き、
ちょうど、昔の上高地の開山時期、
ウェストン祭、6月10日頃、上高地の花の象徴、「小梨の花見」となります。
6月第一土曜日、日本山岳会信濃支部のメインイベントとして、
「峠超え」ウェストン祭が有り、松本市安曇島々から、明神に下ってきます。
翌日、下手の方で、ウェストン卿をしのんで、献花式が有ります。
日本山岳会、生みの親、小島雨水氏によれば、
ウェストン時代後、徳郷の小屋、カモンジ小屋、温泉小屋の
三つの小屋が、上高地に有ったと記されている。
現在の上高地に入る道,バス道は,明治の終わりに河童橋,大正4年に大正池が出来。
大正池を水力発電に利用するために,東京電力が,掘り進んできた道で,
通常の方が,通常に
上高地にバスで来れるようになったのは,昭和30年頃からです。